後見の、、終了

先日、新幹線の中で、後見をしていたご本人様がお亡くなりになったという連絡がありました。
法定後見(認知症と診断された後に、本人の意思とは関係なく選任される後見人)なので、意思能力がはっきりしている間にご本人様との接点はありません。
更に、コロナでずっと直接お会いできない時期もありました。
ご本人様が何を考え、どうしたいのか、直接お伺いすることがありませんでした。

でも、絶対分かることがありました。
シングルマザーで知的障害があり一人で生きていけない一人娘さんの為に、働いてためてきた預貯金があったからです。どんなに心配だっただろうと思います。

娘さんが、本当に一人になってしまったということを思いました。
どこまで理解されていたかは分かりませんが、施設に来て、お母様のそばで黙ってじっとしていたと聞いていました。

直接お会いする前、私は勝手にご本人様を知人に置き換えて想像していました。受験生で飲食で働いていた時にお世話になった4人のママさんで、子供の為に、ちょっと限界を超えて一生懸命働いてましたが、ものすごく明るくて悲壮感の全くないお姿に逆に元気をもらっていた方でした。
後にご本人にお会いしたら、本当に穏やかに暖かく微笑んでおられて、嬉しくなったのを覚えています。

後見人は、ご家族ではなく、ご本人様のためのものです。でも、特にご家族(相続人)とは利害が対立することがあります。。それでも、もし、ご本人様がご判断されたらどうしたいか、そのことを第一に考えるべきだと思っています。

詳細は避けますが、私は就任した後で、娘さんの手残りがなるべく多くなるように何度も行政に働きかけをしました。それが、お母様の願いだと思ったからです。

同じシングルマザーである私が後見をさせていただくことになったこと。私がやる意味みたいなものを、一方的に感じていたところがありました。

お元気だった頃のことは存じませんが、とてもとても残念でした。
人生の最後が一生を表すとすれば、とても素敵な生涯でした。ありがとうございました。


バラ、紅小町、ロシアンオリーブ、ユーカリ、ウールブッシュ

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