自由には責任を伴います。権利と義務。独立してからは、責任の重みを強く意識します。
毎日やることは勤務であっても変わりませんが、考えること、ふるまいが正しいか、常に緊張感と何か背負ってる感じがあります。
やはり高額なものには、それだけ責任がともなっているのです。成果物が、外からみるとそんなに大変に見えなかったとしても、色んなリスクを考えて最善の対策を考えます。
信託は報酬が高額というイメージがあるみたいですが、割のいい仕事だという人はいないのではないでしょうか。それだけ大変なのです。でも、それだけ面白みがあります。
苦しみには喜びが伴う。苦しいから面白い。なんでも、良いことには悪いこと(そこだけみれば大変なこと)が伴っているような気がします。
これと同じように、財産を持っている方には、その責任がある。亡くなった時、残されたものに配慮する必要もある。会社経営者であれば、部下のことを考える責任もある。取引先や顧客のことも考える必要がある。
「ノブリス・オブリージュ」という言葉を聞いたことはありますか。「高貴なものの義務」と言われます。私はこの言葉が大好きです。
海外に比べて、日本人はこの認識が薄いのではないかと、時々感じます。
海外では紳士は信託や遺言は当たり前。何もしないなどありえません。日本でいう
「良きにはからえ」は、一見皆のことを考えているようで、実は責任逃れだったりします。
財産の行方をガチガチに決めて恨まれたら。。メンドクサイ。決められない。も含めて、それが圧倒的に多いと思います。
最近、遺言は書きたいけど、財産の分け方は分からないというお客様が2人いらっしゃいました。遺言は「誰に何を」あげるか記載するものです。ふわっとした分かりずらいものは、残すべきではありません。
※今のご家族に、自分の昔生き別れた子供と連絡をとらせたくない。
※自分の相続人とは何かご事情があり、ほぼ音信不通。全部を配偶者側の親戚に残したい。
遺言を書く目的は、特定の相続人に財産をあげないことが目的であり、誰に何をあげるかは分からない。あげる人だけは決めるから、その人だけで「遺産分割」よろしく「話し合い」で決めて欲しい。
本当は、自分のものをどうするか、きちんと決めるのが財産を持つ人の責任と思います。
ただ、将来のことが分からなすぎて、もっとゆっくり考えたい。無責任ではなく、真剣すぎて考える時間は欲しい。でも、明日死ぬかもしれない。
そういう場合は、信託だと、行先が決まってなくてもあげたくない人にはいかないようにだけしておけます。
100歩譲って、財産の分け方を他人に任せたいというのも、民法で解決する場合と、信託を利用する方法があります。
相続では、相続人の方がご本人に働きかけることも正直ありますが、私は、最後までご本人の自己決定権を大切にしてそれを叶えたいと思います。民法には、自己決定権が100%叶わないような制度がたまに残っていて、それの最たるものが「遺留分」だと思います。民法では完全に廃除することはできません。それがご本人の意思に反する場合であってもです。だから、民法とは別の方法で対策ができる手段は画期的です。それが「保険法」であり「信託法」なんです。
最後に、民法の規定をご紹介します。
902条 被相互く認は、遺言で共同相続人の相続分の指定を第三者に委託することができる。
先ほどの※一つ目は、あげたくない人以外の人も相続人なので、これで第三者に指定してもらうことは可能です。(第三者が関係するのはネックと思いますが)
※二つ目は、相続人をさけて、相続人以外のものにあげたいというケースなので、902条は適用できません。その場合は、是非ご相談ください!
うっとりするお皿。大したもののせてなくても素敵にみえる。気に入ってます。