生前対策は、誰のため?

誰のための、遺言か。。考えさせられることがありました。
後見制度についても、同じことを考えます。

贅沢な暮らしぶりだった方に後見がついたら、意思があったらそうしたであろう散財は、許されないでしょう。

本人のためにならないことはできないから、後見でできることに制限があると言いますが、「本人のためにならないから」が理由ではないこともあります。

財産を減らす行為ができないのは、本人のためにならないからという訳ではなく、相続人のため。「本人のため」というのであれば、財産減っても本人が喜ぶことはすべきだからです。

「〇〇のため」って、よっぽど〇〇のことを理解していないと、本当に難しいのですよ。
本人が喜ばなければ、それは「〇〇のため」と言い訳しているだけにしか過ぎなくなります。

かといって、本人の意思しか考えないのも違うと思うのです。
その時になったら、自分は死んでるのだから、残された者は勝手にやってくれ。というのも疑問を持ちます。

どんな人でも、亡くなれば、誰かの力を必要とします。
誰かに何か、影響を与えます。

ネコは、死ぬ時、どこかに消えていき、誰にも気づかれないように姿を消すと聞きました。人はそういう訳にはいきませんよね。

そうである以上、必要な制度は利用して、お互いのことを想う形を残すことが大切と思います。

一番いいのは、被相続人の想いが子供のためになること。子供の想いは、親のためになること。そういう関係であれば、こんな議論いらないんですけどね。

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